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家族のこと ~4ヶ月後~
この日記の日付は、8月31日に書いた日記から4ヶ月ほどたった2009年1月2日。
以前に書いてはいたが更新していなかったので日付がずれてしまうが更新する。




8月31日からの経過
父は結局手術はせず、抗がん剤と放射線治療をすることになった。
放射線治療には制限があり、規定回数を終えた父は退院する事になった。
11月の検査でガンが大きくなっていなければ、少し長く生きられるかもと言われた。

10月初旬の祖父の四十九日法要は、まだ父が退院していなかったのと、
体調が悪かったのもあり私たちだけでやった。


10月中旬に退院した父の元へ週1~2日の割合で私は通った。
母もその頃には病院へも家へも、週に1~2日の割合で通っていた。

なんとなく日々、父と私の空気は和らいできたような気がしていたが、
依然弟とはなにも変わらないまま。
逆に私が行くたびに、弟の不満が爆発し罵声を浴びて帰ってくることが多くなった。
もちろん私も大人げなく言い返したりするものだから、収拾がつかない。


11月下旬。
父の検査結果が出た。
やはり父のガンは進行していて、余命は半年をめどに考えてくれと言われた。
半年か、もう少し短いか。
中にはそれでも長生きする人はいるそうだ。
しかしきっと父にはそれは望めない。


そんな事を聞き、余計にやるせない気持ちをかかえ、更にイライラも募り、
弟との喧嘩や言い争いが耐えない日々を過ごしていたある日、
いつもはないような大きな喧嘩が私と弟の間に起きた。
今となっては何が切っ掛けでそうなったのかわからないのだが、
とにかく大きな喧嘩で、母もその場に居合わせた。
本来なら病気の父に心配を掛けるなんてもってのほかであるのは解っているが
なぜかその日は話が大きくなってしまった。
あまりにも酷かったものだから、
父が「自分さえいなければこんな風にはならない」と泣いてしまった。
その日は本当に自分を責めた。
どんな理由があったにせよ、病気の父にそんな言葉を言わせ、
泣かせてしまった事が悔しくて、申し訳なくて、恥ずかしくて、本当に自分に腹が立った。
おそらく弟も同じ気持ちだったろうと思う。

その日をさかいに私も弟もそこまで争うような事はなくなった。


翌日の祖父の百箇日法要も無事に終わり、
弟の対応も柔らかく穏やかに日が暮れていった。


そんな日を1ヶ月ほど過ごした12月31日、
家族4人で過ごす最後の正月になるかもしれないと、23時に実家へ集まり
母と私でうどんとおそばを作った。
父は体調が少し悪かったので、もとから食べる量が少なくなっていたが
更に少ない量のうどんを食べた。
とりとめもない話や、弟の愚痴なんかを面白おかしく言う父と笑顔で過ごした。
深夜2時、うつらうつらしている母を見かねた父が私に送ってあげろと言った。
もう少し話していたかったけれど、また三が日中に祖父母の墓参りに行く約束をし
その日は家に帰る事になった。


格子空001









( 2009.01.10 ) ( 家族のこと ) ( COMMENT:0 ) ( TRACKBACK:0 )
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