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家族のこと ~祖父の死と父の生~
あれから約1ヶ月とちょっとの8月24日、祖父が亡くなった。
死因は肺炎だったらしい。




その日の夜、弟からメールが入った。
もう弟とはしばらく会話することもないと思っていた所に、そのメール。
突然すぎてビックリはしたが、何はともあれ電話をかけた。
煙たがられているのは口調でわかった。
とにかくまた連絡するからと、一旦電話を切ることに。
そして深夜、叔父より連絡あり。
お通夜や告別式に出て良いものかとかなり悩んだが出ることに。

どうやら父は7月末に退院していたらしい。
翌日の式では喪主を勤めるようだ。



当日。
予想していた通り、とても重苦しい雰囲気の中私は
約3ヶ月ぶりに父と弟に会った。
前よりも痩せて弱弱しい父に、首元から見える手術痕に動揺しながらも
なんとか香典を渡した。

親族の控え室に入っててと父に促され入っては見たものの、
耐え難い空気に、こっちを見ない視線に、居ないものとされている存在に
想像以上の重力を感じた。

ああ、いつもならうるさい位に話しかけてくるお喋りな親族が
今は私を居ないものとして扱っている。
じいちゃんの供養がメインだから気にしないようにって考えていたけど、
弱い私はこれにどれ位耐えられるだろうか。

そんな事を考えているうちに式が始まろうとしていた。
どの席に座るのかと突っ立っている私を、父は「マキ、ここへ座れ」と
無声音のような声で、最前列の自分の2つ横の席に促す。

アホみたいやけど、私の名前を呼んでくれたとき涙が出そうになった。
手術のせいで音にならない声だったけれど、私の名前を呼んでくれた。
とても辛そうな声だけど、話しかけてくれた。
2度と穏やかに話すことはないのだと諦めかけていたけれど、
私の名前を呼ぶ父は、とても落ち着いていて穏やかだった。
怒りは見えなかった。

無事通夜式を終え、控え室で食事をし、
弟が荷物を家に取りに帰ったとき、久しぶりに父とゆっくり話すことができた。

なぜ私に辛く当たったのか?
 病院で母のことを想い、居てくれたら気分的にも少し楽だったろうな
 と考えて寂しくなったりする。しかし数日経てばそれも忘れる。
 しかし、それを忘れた頃にマキはやってくる。
 そしてマキの顔を見たら
 その想いを思い出させられる。
 そして辛くなり、厳しく当たってしまった。
 しかし裁判を取り下げてくれた現在、それもなく、やはり親子の血の汚さもある。
 後は家族4人で話し合いたい。
 もし自分が死ねば弟は独りになる。
 そんな事も話し合いたい。
 離婚するしないはどちらでも良い、もしするとしても
 将来的に電話なんかで「元気にしてるか?」なんて会話ができたらいい。

体のあちこちが痛くて仕方ない父は、痛みに絶えながらそう話してくれた。
その後帰ってきた弟と少し喧嘩のようにはなったが、
その日は深夜2時ごろに家に帰ることにした。



翌日の告別式も前日と同じような空気の中始まった。
父が動けば、周りが心配の声をかける。
それがわざとらしい程に声をかけるものだから、
私には「お前のせいだ」「お前のせいでこうなった」と聞こえて仕方なかった。

棺おけの中のじいちゃんは最後に会った日のような顔をして眠っていた。
享年92歳 満91歳になったばかりでの死。
長生きした方だと思う。
亡くなる数ヶ月前からじいちゃんには会えてなかったから、
じいちゃんが両親の事をどう思っていたのか、どういう体調だったのかもわからない。

その後、弟からじいちゃんは病気の父をとても心配し、そんな父に迷惑をかけている自分は
早く死んだ方が良いと、死にたい死にたいと言っていたと聞いた。
死ぬかもしれない息子に心配を、世話をさせている事はとても辛い事だったと思う。
できれば私がじいちゃんの世話をできれば良かった。


骨揚げまでの間に「精進揚げ」という会食がある。
その時のあるつまらない出来事で私の緊張の糸は切れ、
その場に居る事ができなくなってしまった。
泣きながら逃げるように会場を出る私を追う父。
もう無理だから帰りたいと懇願したが、父は今後の親戚づきあいや
じいちゃんの供養の事を思ってくれるのなら我慢して残ってくれと言う。
病気で立っているのも辛いであろう父に心配させている自分にも腹が立ったが
しかしもう耐えられない。
しばらくしたら戻るといい、車へ逃げた。

しばらくボーっとしていると、父から電話が。
早く上がって来いと急かされ仕方なく戻ったが、涙が止まらない。
俯いたままその場を乗り切る。

骨揚げの時間になり、バスで火葬場までいく。
その間、父の計らいなのかシートは父の横。
父があまりにも痛がるのでそこをマッサージしていると、
後部座席の大叔母に優しい声をかけられる。
大叔母とは以前家が近くなった事があり、よく話をする間柄であったし
私がまだ独身で実家に住んでいて、祖母が元気だった頃からよく家に遊びに来ていた。

火葬場にて骨揚げが行われた。
91歳のじいちゃんの骨は驚くほど立派で硬かった。
その骨を見て、また父を想った。
何を見ても、何を聞いても今は父に繋がる。ダメだ。

初七日の法要も済ませ、それぞれに解散し、実家に寄った。
家族3人だけになると弟はそれまでまとっていた棘を少し脱いだ。
コーヒーを飲み、話し合いをどうするかと話し、シャツのクリーニングを頼まれた。
家の片付けも、男所帯だから追々手伝ってくれと言われ、数枚の服を畳んだ。
飲み終わったカップを洗いながら、こんな風な時間がずっと続いてくれたら良いのにと考えた。
もしかしたら今日で全てが終わって、新しい明日が生まれるんじゃないかと思った。
父のガンも再発する事もなく、このまま家族は仲直りして、私と夫にいつか子どもができ
それを喜ぶ父と母、叔父になった弟の姿が見えた。
このまま全てがうまくまわっていくのではないかと本気で思った。


しかし、それは幻覚に過ぎなかった。
8月30日の夕方、メールでガンの再発を知った。
来週より緊急検査が始まるらしい。
火葬場へ行くバスの中で父に見せられた首元の2つのしこり。
父もこれがガンじゃないかと心配していたが、それが本当になった。
もう父の体に切るところはなく、父も手術を望んでいない。
そうなればあとどの位生きられるのだろうか。

そう考えると居ても立ってもいれなくなって弟に電話をしたが、
まだ詳しい事はわからないと電話を切った。

それからはずっと自問自答の繰り返し。
私がしたことは間違っていたのか。
いまどうする事がベストか。
残り少ないのであれば、弟に何もかもいまは忘れてもらって、1秒でも多く父と過ごしたい。
こんな切なくてやりきれない気持ちを、理由はあったとはいえ
弟は独りで耐えてきたと思うとごめんねと言いたい。

そんな思考の繰り返しに耐えられなくなった。
そして弟に電話をしてごめんねと伝えた。
しかし弟の怒りは治まらず、そのうちに声も荒げだした。
そんなやりとりに気づいた父が電話を替わり私をなだめる。
理由を話し、解ってくれはしたがまた父に心配をかけた自分に腹が立つ。

告別式を終えた日の夜、母に連絡を取って
四十九日を終えたら、父と弟が話し合いたいといっていると伝えていたが、
それを待たずに話し合わなければならない。
話し合うにしても、未だにどっちがどうだったからこうなったと言う気持ちを
特に弟は捨てられずにいて、私自身もそのことで責められると
それとこれは別の話しだと思う気持ちを捨てきれずにいる。


しかし私としては一刻も早く修復し、一秒でも多く父と居たい。
そして弟と協力して幸せな状態で父を送りたい。
まだ生きているのに不謹慎だと思うかもしれないが、あの父を見ていると
そんな綺麗ごとや希望は湧いてこない。
ただ誰かに話したい。
そして思いっきり泣いて、良いアドバイスを貰いたい。
そんな相手は居ないんだけど、そう思う。



色んなことに後悔している。
なんだか元気もやる気も出ない。
しばらくはこんな感じが続くのだろうと思う。





( 2008.08.31 ) ( 家族のこと ) ( COMMENT:0 ) ( TRACKBACK:0 )
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